2011年05月03日

阪神」より低い宮城の避難所の栄養価 1日2食の所も

阪神」より低い宮城の避難所の栄養価 1日2食の所も産経新聞 5月2日(月)20時49分配信

避難所で被災者らに夕食の配膳をするボランティアの女性たち=4月末、宮城県南三陸町

 東日本大震災の避難所で提供されている食事の栄養価が、阪神大震災のときと比べ、不十分な状態にとどまっていることが2日、兵庫、宮城両県の栄養調査で明らかになった。兵庫県は宮城県に対し、災害救助法で定める避難所の食事単価の増額を国に求めることを提言した。

 現在、宮城県内の避難所での1日の食事単価は1010円。これに対し、阪神大震災時の基準は800円だったが、特別基準が採用され、1・5倍の1200円に増額された。

 震災1カ月後の食事を比較すると、阪神では1日3食のうち、1〜2食の幕の内弁当とカット野菜が提供されていた。ところが今回は震災1カ月以上が経過した現在でも1日2食で、それもおにぎりやパンが中心の避難所も多いという。

 避難所で実施した栄養調査では、避難所の9〜10割でビタミン類が不足し、8割でタンパク質が不足していることが判明した。

 調査にあたった兵庫県健康増進課は「食事単価には燃料や食器、搬送の代金も含まれている。被災範囲が広い今回の被災地は、食材に使用できる金額が限定的」と分析している。



子どもの人口、1693万人=30年連続減、過去最少―総務省

子どもの人口、1693万人=30年連続減、過去最少―総務省時事通信 5月2日(月)16時8分配信

 今月5日の「こどもの日」を前に総務省が2日発表した、日本の15歳未満の子どもの推計人口(4月1日現在)は、前年より9万人少ない1693万人で、1982年から30年連続の減少となった。比較可能な50年以降の統計で過去最少を更新した。内訳は男子が868万人、女子が825万人だった。
 総人口(1億2797万人)に占める子どもの割合は前年比0.1ポイント減の13.2%。37年連続の低下で過去最低を更新した。人口4000万人以上の世界の主要国と比べても、米国(20.1%)、中国(18.5%)、韓国(16.2%)、ドイツ(13.5%)などを下回る最低の水準が続いている。 
タグ:こどもの日
posted by ぴか at 06:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | こどもの日・子供の日

「人の思い出捨てるのがボランティアなのか」 GWで現地入り 悲惨な現実に言葉失う

「人の思い出捨てるのがボランティアなのか」 GWで現地入り 悲惨な現実に言葉失う産経新聞 5月1日(日)21時11分配信

大型連休を利用し被災地を訪れ、住宅地に残る泥やヘドロをかき出すボランティア=1日、宮城県石巻市

 ゴールデンウイークGW)がスタートして東日本大震災の被災地にも多くのボランティアが駆け付け始めた。申し込みの殺到に受け付けを連休終了まで見合わせる自治体も現れるほどの活況だが、いざ現場入りして大量に積み上げられたがれきの量に、一様に驚かされる。あまりに悲惨な被災者の現実に絶句し、改めて震災の爪痕の大きさを実感するようだ。(荒船清太)

 「人の思い出を捨てるのがボランティアなのだろうか」

 がれきで埋まった宮城県石巻市内の呉服店の片付けをしながら、東京都から4月29日に来た会社員、大宮匡喬(まさたか)さん(23)は悩んでいた。

 目の前で、民家に住む70代の女性が女性用の帽子を3つ並べていた。「見て。きれいでしょ」。帽子は泥だらけ。洗っても使えそうにはない。きれいとも言えずに押し黙った大宮さんを見て女性は目に涙をためながら「これも捨ててください」と言った。

 帽子を捨てた後、女性は大宮さんに「ありがとう」とお礼を口にした。呉服店を片付けただけなのに、女性に涙を流して感謝され、涙が出た。頭をただ縦に振ってお辞儀するくらいしかできず、会話はほとんど交わせなかった。

 ■被害の大きさ実感

 当初は寸断されていた道路も復旧し、甚大な被害を受けた被災地域にボランティアが入れるようになってきた。 大宮さんは4月30日早朝、ボランティアに向かう前に、被害状況を見ようと海辺へ走った。「津波注意」と書かれて折れ曲がった看板。テレビではよく見た風景だったが、近くの子供たちによって「自然を大切に」と描かれた海岸のコンクリート壁が目に入った。大宮さんはそう描いた子供たちの命までが奪われたことを案じた。今までテレビを通じて見ていた被災地の風景の背後で、たくさんの人命が無くなっていることに気づいた。

 東京都内から4月29日に来た会社員の高橋良子さん(35)は、ボランティア作業に行く途中の風景に言葉を失った。 「仙台市で、屋根瓦にブルーシートが張ってあるのを見て驚いていたが、石巻ではさらにたくさんのがれきの山を見た。車は転がったまま。通り過ぎるたびに、そこにいた人はどうなったのか、心配になる」 そんな風景がどこまでも続いていた。テレビで見なかった場所も、テレビで報じられた場所と同じくらい被災していた。

 高橋さんが作業に訪れたアパートの敷地内は、水産加工場から流れて腐った魚やヘドロの固まりで埋まっていた。持ち上げた魚が崩れるたびに、激しい臭いに襲われたが、被災者はふだんと変わりなく、敷地内で暮らしており「これほど苦しい環境のなかで被災者が過ごしているとは訪れるまで分からなかった」と高橋さんは話した。

 ボランティアを経験して大宮さんも「炊き出しをやって、人の温かみを知ったりするのがボランティアだと思っていた。しかし、実際に現地入りしてとてもそれどころではないことを思い知った」と被害の大きさへの実感を口にし「東京にいて知ったような顔をして震災を語るよりも、実際に自分の目で見てよかった」。こう話してボランティアセンターを後にした。

焼き肉店で集団食中毒、男児死亡…富山県
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。