2011年04月07日

<東日本大震災>「2階で避難生活」20人 宮城・女川町

<東日本大震災>「2階で避難生活」20人 宮城・女川町毎日新聞 4月7日(木)11時35分配信

 東日本大震災による津波に襲われた宮城県女川町の山あいの地区に、かろうじて1階だけの被害にとどまった民家で「2階避難生活」を送っている被災者が20人ほどいる。持病があり避難所での生活が困難▽防犯のためなど理由はさまざま。町の復興はおろか、仮設住宅へ入れる見通しも立たぬ中、この地で暮らしていけるのか、心揺れる日々が続く。

 約120世帯、300人が暮らしていた同町女川浜日蕨(ひわらび)とその周辺。津波は、約2キロ離れた女川湾から女川に沿って駆け上がり、自治会長の青砥(あおと)祐信(すけのぶ)さん(69)によると、自治会で生存が確認できたのは約80人。4週間近くたった今も、水産物が放つ腐敗臭の中で行方不明者捜索が続く。

 津波による浸水が、1階部分だけで済んだ民家は上流部分の10戸ほど。その半数で、約20人が暮らしている。電気、ガス、水道は無く、どこも軒先で火をおこし、煮炊きをする生活だ。

 新聞販売店従業員、遠藤裕子さん(54)は築30年の木造住宅2階の8畳間で、地震発生直後に避難してきた友人家族と8人で生活している。身を寄せた小田島真由美さん(45)はぜんそく、その長女綾花さん(21)が震災の約1カ月前に凜花ちゃんを出産したばかりで、大勢がいる避難所には行けなかったという。

 灯油ストーブで部屋を暖め、マスクをして注意していたが、真由美さんはぜんそくが悪化して一時入院。凜花ちゃんも気管支炎で通院した。それでも真由美さんは「せっかくつないだ命。助からなかった人の分もたくましく生きたい」と前向きに話す。

 流れてきた漁業用のプラスチックケース(縦1メートル、横2メートル)をベビーサークル代わりに軒先に置いた。散乱するガラスを踏まないためだ。中では綾花さんの長男拓人君(2)が元気に遊ぶ。

 近所に住んでいたおじが津波にのまれ行方不明のままの植木敬太さん(26)は自宅2階に寝泊まりしている。町内の避難所にいる船員、父玉雄さん(60)が「被災住宅から衣類、鍋や釜までとられると聞く」と、用心のため住まわせたからだ。玉雄さんも「仮設住宅に入居できなければ、自宅しかない」と昼は戻り、がれきが入り込んだ1階の片づけを続ける。しかし、先の暮らしを尋ねると、「見えない……」とうつむいた。

 「何もかも無くなった人のことを思えばましな方」と、妻、息子と自宅2階に住む鈴木正祐さん(66)は、集めた廃材で屋外にトイレを作った。「水産業の女川町が復興するには10年以上かかるのではないか。別の土地に家を借りて暮らそうか」。思い悩んでいる。【土本匡孝】

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